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夢をかなえるために

かねてから念願だった

イギリス移住が正式に決まった。

現地での就職先が決定したため

最短で今月中、

遅くとも来月中には

完全に向こうへ行く。

最初の一年は知り合いの

家にお世話になりつつ

学校と職場を

行き来することに

なりそうだ。



これにともなって

僕は

人間関係も含めて

置いて行けるものは

全て日本に

置いて行くことに決めた。

なるべくゼロに

近い状態から

始めてみようと思っている。

これで今生の別れじゃないけど

落ち着くまで

何年かは目の前の事に

集中する。

完全に永住するか

3年で帰ってくるかは

全くわからない。

でも憧れの

プロダクションに

入れるように

死に物狂いでやるつもり。



取り急ぎ

そんな事が決定して

思っていると

二人の友人に伝えた。

一人は

「はーい、じゃあまた今度」

と言われて電話を切られた。

もう一人は

「お土産よろしく」

と言われて電話を切られた。

非常にあっさりしていて

とても心が軽くなった。

だからこそ

こんな僕でも

友達でいられたのかも

しれないな。



緩やかな

生活をずっとしてきた。

うすい不満と

たまに感じる幸せで

全然生きていけた。

この先もずっと

こうで良いと

心から思っていた。

でも

更に良くなるならと

思って撒いていた種が

運よく実ってくれた。

まだ小さい実だけど

慎重に

そして命を懸けて

育ててみようかと思う。



期せずして

ほんの何週間で

こんな事になったけど

このブログを書けて

本当に良かった。

自分から動き

発信することで

いっぱい気づく事があるってのが

体験できてよかった。

準備を考えると

もう何回も更新できない。

最悪、これで終わりになって

しまうかもしれない。

日本に置いて行く

大事なもののひとつとして

僕はこの稚拙な

自己顕示の記録を忘れない。



目にとめてくださった皆様。

本当に

本当にありがとうございます。

何も言い出せなかった僕は

以前よりも

少しだけ勇気を持って

飛び出していくことが

出来そうです。





ではでは!





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高くて低い階段

中学の頃

学校に行くのが

とても億劫だった。

勉強も運動も中の中。

部活もやらず

友達もいなかったので

ノルマのように

授業をこなして

家に帰るというのを

日々繰り返していた。

思春期特有の

自分は何者でもなく

身動きが取れない

不安と不自由を感じて

人知れずもがいていた。



学校は丘の上にあって

うちから登校するには

長い階段を上らなきゃ

ならなかった。

それが毎朝毎朝大変だった。

他の生徒たちは

友達同士連れ立って

汗をかきながら

愚痴を言い合いながら

のぼっていく様が

キラキラと見えた。

暗い気持ちのみを

抱えて押し黙る自分が

ひどくダメな人間に思えた。

階段をあがって

裏口から敷地内に入る。

少し息を切らせながら

教室に入っても

僕の心は落ち着かなかった。

普通な心持ちで

生活している周りの人たちを見て

常に気持ちをゆがませている

自分が情けなくて

たまらなかった。

後に、他のみんなも

似たような気持ちに

なるもんだって

知ったけどね。

そん時は

自己嫌悪と被害妄想とが

ぐちゃぐちゃしてた。

そんな気持ちですごしていると

また更にあの階段が

苦しく感じられた。



調理実習、委員会、英会話の授業

他人とコミュニケーションを

とらないといけない日の登校時、

あの階段はものすごい重力が

感じられた。

文化祭、体育祭、修学旅行

集団でひとつのものを

目指す行事の登校時、

あの階段は遥か頭上に

そびえたって見えた。



あの階段は

僕のトラウマになった。



そして今から2年くらい前。

仕事で使う資料写真を

撮影するために

母校の中学校に行ったことがあった。

車で校内に入って

あらかじめ連絡していた

先生に挨拶した。

夕焼けの西日が差し込む

廊下や教室を撮影して回る。

思えばずっと帰宅部だったから

夕焼けに赤くなる学校の風景は

記憶の中の寒々しいイメージとは違い

暖かく新鮮に見えた。

撮影を終え

車に戻る途中

あの階段を

下りてみることにした。

裏口を出て

緩やかな坂を下る。

一段一段が少し高い

その階段をおりきって

学校の方を振り返ると

昔と景色が全然違って見えた。

あんなに見上げるほどだった階段は

大して高くなかった。

ぜいぜい1階~1.5階分、

デパートの二階に上がる程度だった。

でも僕は確かに顔を歪めて

苦しみながらここをのぼっていた。

中学校への苦手意識は

この階段とともにあった。

先生によると

もう裏口からの登校は

認められてないらしい。

今、目の前にある階段は

夕日に照らされて

寂しげだった。



僕は頭の中で

つらいイメージ膨らませて

あの階段を

高く高くしていたのかなぁ。

僕が大嫌いだった

あの階段の正体は

寂しくたたずむ

古い階段だった。



つらくて

出口の無い

耐えるしかない

ものの正体は

もしかしたら

単なる階段かもしれないよ。

それはもちろん

たっぷり時間を経て

俯瞰で見ないと

わかんないと思う。



でも

でもそれは

ほんとに単なる階段かもしれないよ。





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輝く月の中は…

しばらく前

ものすごく月が

でかくて赤い夜があった。

僕はうれしくなって

会社終わりに川原へ

自転車を飛ばした。

途中で買った

あまいコーヒー牛乳を

飲みながら川面に

うつって揺れる月を

気が済むまで見てた。



ふと視線をあげると

対岸の土手の上を

ランナーが走っているのが

小さく小さく見えた。

ランナーはそのまま

こちらへかけられた橋を

わたってきた。

ミニチュアのようなランナーが

街の明かりを背に受けて

もぞもぞと動きながら

橋の上を移動していく様に

なんとなく目を離せなくなった。

川辺にいた僕からは

ちょうど月がその橋の上に

乗っかるような感じで見えていた。

ランナーが橋の中腹まで来た時

遥か地平に浮かぶ

赤くて大きな月の中に

入って溶けた。

小さいランナーは

何事も無かったように

月の中から出てきて

橋をわたりきって

見えなくなってしまった。

僕はその一連の絵が

とってもきれいに見えて

しばらく見ほれてしまった。

どうしても僕も

月の中に入ってみたくなったので

橋の上に行くことにした。

自転車で土手を駆け上がって

体勢を斜めにしながら

猛スピードで橋へ入る。

すごく気分が高揚してた。

ランナーが月に入った

橋の中腹までくると

はたと気づいた。

たぶん月に入ったであろう

僕の姿を見てくれる

人がいないんだ。

自転車を止めて

柵に足をかけ

たぶん僕がいたあたりを見た。

ところどころ芝生がはげていて

月明かりに照らされて

寂しく見えた。

橋が影を落としている

手前側は

気味悪くさえ感じた。

月の中である橋の上は

貼り付いて黒くなった

ガムと吸殻

潰れた甲虫の死骸があった。

何の変哲も無い橋の上だった。

当たり前だ。

橋の下から

沈めた心で見上げないと

この橋は輝かない。



でもそんなに

残念ではなかった。

そらそうだって笑ってしまったし

橋の上から見る

月もまたきれいだった。



輝いて見えるものは

その実、見た目ほど

きれいなわけじゃない。

でもそこから見える

向こう側の景色は

その場所なりの

美しさがあるんだなぁ。





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連絡通路は光の架け橋

僕が小さい頃

いつも面倒を見てくれた

近所のおばさんに

よく連れて行ってもらった

デパートがあった。

一駅隣の駅前の

大きなデパートだ。

10階建てくらいの

二つのビルからなっていて、

本館は服、装飾品、家具なんかがメイン。

別館は本、雑貨類なんかをおいていた。



おばさんはいつも

僕を連れ立って本館に入っていった。

一階で香水とか化粧品を見て

エスカレーターで上がりながら

自分の婦人服や

旦那さんの肌着なんかを見て

家具フロアの隅にある喫茶店で

一休みするのがいつものコースだった。

そこで何度も御馳走になった

レモネードは今でも思い出せる。

おっきい氷がいっぱい入っていて

汗をかいたグラスに

厚紙のコースター。

ミントの葉っぱが浮いていて

いつも食べれず始末に困った。

すっぱくて甘くて

とてもおいしかった。



一休みした後は

おばさんは家具売り場で

ドレッサーを見て回る。

僕はここで許可をもらって

一人で他の場所に行くのを

毎度とてもたのしみにしてた。

他の場所に行くといっても

目的地はいつも別館の7階だった。

家具売り場のある本館7階は

別館への連絡通路があって

そこを通って別館の7階に行けるんだ。

なんだか薄暗い

家具売り場の端っこから見る

連絡通路の向こう側は

明るく光り輝いていて

はやる気持ちが

更に加速したのを強烈に覚えてる。

心臓の音と同じように

早歩きで光の中へ入っていった。

別館の7階には

地域で一番大きな

オモチャ売り場があった。

うちは事情があって

滅多にオモチャなんか

手にできなかった。

他の家をうらやましいと

思ってたけど

デパートにあるオモチャは

見るだけでも十分満足させてくれた。



連絡通路から売り場に入って

すぐ脇に乳児用玩具

その先が女の子用オモチャだった。

定期的にオモチャを

買ってもらえてたら

女の子のオモチャは

興味なかったかもしれない。

でも見て回る時は

女の子用も男の子用も

同じように魅力的で

輝いていた。

特に僕は

シルバニアファミリーを見るのが

大好きだった。

休日の昼下がり

たくさんの女の子たちに混じって

シルバニアコーナーで

陳列された小さい家具と

動物たちに釘付けになった。

その奥

ビーズやリリアンの棚を越えると

たたみ一畳くらいの

透明アクリルのケースの中に

プラレールとレゴの

ジオラマが組んであった。

僕はこの展示が大好きで

いつまででも見ていられた。

ケースの中で脱線したままになってた

プラレールの車両をどうするのか

すごく気になって頭にのこってる。

低学年向け玩具の向こうは

プラモデル売り場だ。

当時はSDのガンプラと

ミニ四駆の人気があって

とても活気があった。

本体も持ってない僕は

ずらっと並んだ

タミヤ、バンダイ公式の塗料を見て

こんなに集めるのはごく一部の

大金持ちだけだろうと思っていた。

売り場を壁沿いに歩くと

切手屋さんがあった。

記念切手や硬貨

古い紙幣や小判、寛永通宝が

ガラスケースに入っていた。

まだ江戸時代がファンタジーと

区別できていない頃だったので、

物語に出てくるアイテムが

展示してあると

とっても驚いた。

連絡口から一番奥まった

広いスペースを使って

任天堂のゲームショップがあった。

複数のモニターが新作ゲームの

デモを流している。

僕は原始人になったかのように

バカみたいに口を開け

ずーっとモニターと

ゲームのパッケージを

見て回った。



僕みたいな

オモチャを見ることを

楽しんでる子供にとって

オモチャ売り場を見るための時間は

常に少ない。

一時間もするとおばさんが

迎えに来てくれる。

いつもお世話になっている

大好きなおばさんだけど、

このときばかりは

無限にこないでくれと思ってた。

僕はオモチャ売り場で

ぐずった事はない。

まあ他の場所でもないけど

当時を思い出しても

良くやったと褒めてあげたい。

なんなら今のほうが

ぐずりそうだ。

手を繋いでもらい

デパ地下に行くため

暖色系のシックな照明の

家具売り場に戻る。

反対の手にはレゴやシルバニアの

カタログを握りながら。

ふと後ろを振り返ると

相変わらずまぶしく

輝く別館と喧騒

そして

それに照らされた光の架け橋が見えた。



そのデパートは

かなり原体験として

影響されてると思う。

僕は今や

レゴのお城にシルバニアの

家具と動物を並べて

悦に入ってるからね。

久しぶりにおばさんに

挨拶しに行こうかな。





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あの時の透明人間へ

一昨年、僕の勤めている会社で

社員旅行が催された。

僕は、正直面倒くさかったので

適当な理由をつけて

欠席させてもらった。

3泊4日の旅行明け、

上司がわざわざ大きな

お土産を買ってきてくれていた。

これは別のお話だけど

こういうことをしてもらうと

社交性がない自分の

情けなさが浮き彫りにされて

自己嫌悪してしまうな…

お土産は大きな

チェスのセットだった。

ドラゴンボール風の

キャラクターのステッカーが

ところどころに貼られた

版権無視のいかがわしいもの。

もらったその場で開き

大いに周りが盛り上がっていた。

苦笑しつつもお礼を言い

僕の机の横にある

腰高のロッカーの上に

きれいに並べた。

でもなんだか

そのいかがわしいチャチさと

僕が元々置いていた

シンプソンズ人形の

ポップ?な感じがマッチして

収まりよく僕のスペースになじんでくれた。



しばらくは

通りがかる人たちに

ライダー人形と駒を

入れ替えられたり

駒をくさび陣形にされたり

いじられてたけど

一ヶ月もすると

それもなくなり

ほんとに仕事場の景色になった。



僕自身も

チェス盤を気にもとめず

一年ぐらいたった時

駒が動いてるのに気づいた。

きちっとそろってる盤の中

白いポーンがひとつ前進していた。

整列を乱す見た目は気持ち悪いもので

僕は気づいた時点で元の位置に戻した。

誰かがやったのだろうとも

思わないほどに些細なことだった。

二日後か三日後

また白いポーンが前進していた。

また元の位置に戻した。

その二日後か三日後

また白いポーンが前進していた。

僕は同じ行動を

繰り返すことをしゃくに感じて

前進した白いポーンをそのままに

黒いポーンを二歩

前進させて仕事に戻った。

二、三日後

今度は別の白いポーンが前進していた。

期せずして

顔もわからない誰かとの

チェス対戦が

始まってしまった。



それからも

一週間に2~3度

僕が動かした黒駒に対して

白駒が知らない間に動かされた。

白駒が動く頻度は

変わらず、ずっと週に2~3度だった。

その不思議な対戦は

結果的に半年ほど続いた。



対戦が終わったのは

突然だった。

半年位たったある月曜日

チェス盤の真ん中に貼られた

小さめのポストイットに気づいた。

ボールペンで書かれていた

きれいな文字の内容はこうだ、

『勝負は預けた  西澤』

その前の週末付けで退職された

経理のおじさんからだった。

西澤さんとはほとんど

お話をしたことがない。

それどころか

顔を合わせたのも

数えるほどだった。

年齢的には還暦間近に見えた。

端的に言うと

会社の都合でクビにされた。

社長の娘が経理を出来るように

なったので、すげ替えられたらしい。



たぶん

いつもなら気にならない。

僕の業種は出入りが激しいので

特にそうだと思う。

でも

僕はチェスの見えない対戦相手として

半年付き合った。

週に二三度

駒を動かしあっただけだけど

僕はその見えない対戦相手に

不思議な人間臭さを感じていた。

だから

書置きを見た瞬間

西澤さんに

とても感情移入してしまった。



相手を思いやるためには

ほんの少しでもいい

共感さえできればいいんだなぁ。

ちょっとの共感さえできれば

名前も見た目もわからない

いやいや

存在してるかもわからない

透明人間のことだって

思いやることができるんだ。

自分の心を見つめなおす

きっかけをもらって

すごくあたたかな気分だった。



透明人間 西澤氏へ


僕のデスクは

あれから更なるオモチャで

うもれてしまいましたが

チェス盤はあの時のまま

駒を崩さず維持しています。

預けていただいた勝負を

再開するのが最大の望みですが

それがかなわなくても

もう少し

このままにしておくつもりです。

あの不思議な関係で築いた

細いクモの糸みたいな

あなたへの気持ちが

強く心に残っているからです。

人に正面からぶつかる

勇気は全くない僕ですが

細く深く人の心に

散らばっていけるよう

これからは

気持ちの種をポロポロと

撒いていくつもりです。

あなたのお陰で

僕の人生が少し

実りある方向に向けたこと

ここに感謝します。

それでは

いつか会えても

会えなくても

ありがとうございました!





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